[MARU-011]MO"R"TALITY VS ONOMATOPEEE EP!!!



    音楽には2つのモノがあると思う。永遠に良いモノと今この時代だからこそ輝くモノ。2人の無名な音楽家が吐き出したこの音楽は確実に後者だ。だからこそ、リスナーに即座に音が届く時間的ブランクの少ないネットレーベルで出す意味がある。 今までの日本のオタクな音楽にはなかった行き過ぎた暴力的、挑戦的な一面のあるこれらのアーティストは今「関西ヲタ世代」と呼ばれている。数年前から関西地方で始まり徐々に世界に飛び火している。このリリースも大きな流れの中で見ればそれらに属するのだろう。 彼らは抑圧された00年代のオタクの欲求と大してオモシロクも無い日本の日常のモヤモヤを音楽で噴出する。ある種の自己満足かもしれない。 それに従って、このリリースのエゴイズム丸出しのサンプリングによって世界を卑屈っぽく切り刻み、歪んだビートによってフラフラな整合性を保った動物的で自己満足な音は何の感動をも生み出さないかもしれない。しかし、確実にリスナーを挑発して何らかの衝動を与えるだろう。
    eseharaによるライナーノーツ 2010/07/24
    「汝、ウンコを愛することが出来るか? ―MO"R"TALITY VS ONOMATOPEEE 改題」


    聞くに堪えないけれどノイズとか聞き出すワナ
    俺はこんな難解な音楽を聴いて偉い!とか思い込むワナ
    ‐「クラブミュージック聴き始めのワナ! - Guchon」



     そのジャケットからして”不穏さ”を漂わせるこのEPは、ダウンロードして解凍すれば、その”不穏さ”に相応しいハッシュ・ノイズと切り刻まれたアーメンが特徴的に響き渡る。もし音楽が現代を意識せずとも反映できるとするならば、このEPは間違いなく現代への解答でもある。そして、現代への解答である以上、この曲は突然変異でも、特殊ではない。実際に、海外のネットレーベルや、また日本でもUGU(MO"R"ATORYはここでも曲を発表している!)といったネットレーベルでも同様に、攻撃的で暴力的に切り刻まれ、さらにぐんにゃりと歪ませられたサンプリングの音楽郡が見つかるだろう。そのサンプリング音は、まるで音の”断末魔”と呼べるような音で、私達の脳髄に突き刺さる。

     実際に、海外においては、BreakcoreやNoise みたいな楽曲に対して、日本のアニメのサンプリング等を乗せたりするジャンルが"Lolicore"と呼ばれることもある。それは日本の"Nardcore"と呼ばれる音楽に対する海外からの応答でもある。だが、"Lolicore"と呼ばれるジャンルは、その"Breakcore"とジャンルと同様に、その切りきざむ音、そして歪ませるエフェクトが極端になり、そのアプローチも何処か"Noise"に近くなっていくアーティストもちらほら存在している(例えば、台湾をベースに精力的に活動している"Sociopath Recording"で、その音源を聴くことが出来るだろう)。既に"Lolicore"でも代表的なアーティスト、例えばLolishitや GoreshitなどのアーティストはNoiseぎりぎりの音楽を発表している。

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     Breakcoreや Noisecoreを発表しているアーティストのライブ映像を見た場合、他のダンスミュージックとの対比で特徴的なのは、その身体表現だろう。Noise で踊れるのか、という議論は兎も角として、少なくとも"Breakcore"に限って言うならば、そのBPMの速さと一緒になり、リズムやグルーヴに合わせて飛び跳ねたり、揺れたり、あるいは手足を動かしたりといった、そのようなリズミカルさは、その反復運動を加速させ、ひきつりというべきか、けいれんというべきか、そのような身体の振るえにまでダンスを分解してしまう。BreakcoreやGabberがNardcoreやJ-COREといったような、オタク文化と非常に親和的であるのは、その情報の過剰性と速度に対する反応が、「ふるえ」「ひきつり」といったようなレベルの反応までに落とし込んでしまうかもしれないという、非常に危うい関係にあるから、というのはあるだろう。

     私達が生きる「現代」は少なくとも情報の過剰性によって支えられている。毎日発刊される誰が読むのかわからない書籍の洪水。そしてヒットチャートに浮かんでは忘却されていく音楽。それらの幾つかはアンセムとして歴史に刻まれるだろうけども、多くは捨てられて消えてしまう。コンビニに入れば流れるBGMが、店から出るときにはこびり付いて離れない。それを嘆いても仕方がなく、現代の宿命として受け入れるしかないのだが、その「宿命」を一つの楽曲に収め作品として残すならば、例えばONOMATOPEEの「すごいオシャレな曲☆」のようになるだろう。その莫大なサンプリング郡は、曲というよりも、ある一つの風景であり、一つの態度を示している。情報の過剰にともなう暴力。恰も情報自体が、巨大なウンコになって垂れ流される(そういえば、このアーティストもONOMATO"PEE"だ)。そして、その巨大なウンコを、リモコンのボタンを操作するように、ただただ操作する。言い尽くされた言葉ではあるが。

     不幸か幸福かはわからないが、既に現在時点においては、必ずしも膨大なサンプリング自体が混沌/ノイズを孕むというわけではない。というのも、ニコニコ動画における「組曲」(ニコニコ組曲、流星群、虹色)シリーズの存在のように、その氾濫する情報を凝縮し、ポップにしなおしてMixするという作業を含んでおり、それは各音楽のもつ刺々しさ、荒々しさをそぎ落とし、しかし「記号性」を内包しつつ一つの方向へと捉えなおして編集していき、今・この時点の事件性を上手くその曲へ作りこむ、というアプローチは、既に存在している。だが、このEPにおいて、そのようなRemixにおけるサンプリングを方向性を決定付け繋げているのは、本来ならばただ退けられ、邪魔になる筈のノイズ=余計物の氾濫であり、そこにおいて、辛うじて私達はそれらが統一した楽曲なのだと理解する。

     もちろん、流れ出るウンコに対して、何かしらの執着というか、留めたいことがあるからこそ、それを編集したり、切り刻んだりすることで、記憶する=Recording するのだろうけれども、しかしそれに対して、暴力的に介入するか、それとも慈しむように介入するかによって、その立ち位置は違うだろう。例えば Maltine RecordsでもリリースしてあるCDR[MARU-025]は、やはり同じくBreakcoreというジャンルに属するアーティストであるが、何処かメロディアスさを残しており、だからこそ幾ばくかキャッチーさが残っている(それは、藤城嘘氏のアルバムアートと比較すれば、その違いは一層際立っている)。なるほど確かにMO"R"TALLYの「壇上一人祭り」はまだそのグルーヴさにより聴けるものがあるような気もするのだが、しかし聴き進めるうちに、その流れは唐突に断ち切られ、そして何事もなかったようにまたスタートする。

     何かを聴いたり、それを愛したりということに、 Remixの延長上があったとして、それが退屈なエディットを作ったり、あるいはトランスアレンジにしあげたりすることだけではない筈で、それこそ名曲レイプといったようなあり方も一つの「愛」の形でもある。だが、この「愛」というものは、一般的には受け入れられることはなく、むしろ対象を解体することに喜びを見出すような、一歩間違えば犯罪スレスレの「愛」もある。後者がどうしても社会的に、中心的ではなく、周辺的になりやすいが故に、だからこそ、そこで「作曲」という行為を通じて、私達はそれが周辺的であったとしても、表現する。それもまた、編集という「愛」なのである。

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     この楽曲たちは、一つの到達点でもあり、記念碑でもある。良くきかれ、愛されるであろう音楽達とは、確かに一線を引かれるだろう。元々の紹介文には、「永遠に良いモノと今この時代だからこそ輝くモノ。2人の無名な音楽家が吐き出したこの音楽は確実に後者だ。だからこそ、リスナーに即座に音が届く時間的ブランクの少ないネットレーベルで出す意味がある。 」とある。既にリリースから二年近くたった。ここに残されたものは、まだまだ多い。だからこそ、未だにこのEPは偉大な記念碑であり通過点であり、まだ現在なのだ。

    esehara

    Tracklist

    A1.MO"R"TALITY - 寂滅CHILDREN (承認!外山恒一.mix)
    A2.MO"R"TALITY - 壇上一人祭り in 瀬戸際 (Hello!!Mr.TAxxC.mix)
    B1.ONOMATOPEEE - すごいオシャレな曲☆
    B2. ONOMATOPEEE - 釘宮理恵VS平野綾 釘宮理恵の勝ち

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    Style : あにこあ [ONOMATOPEEE]、ハーチャコア [MO"R"TALITY]
    cat# : MARU-011
    Released:2007/05/29
    Format : MP3 / 256kbps