[MARU-039] dj newtown - DANCE WITH YOU



      ビートとメロディーにのせられて、無我夢中に、ニュータウンをかけめぐる。
      期待の新人「mononofrog_4sk」と「Hercelot」によるリミックスに加えて、大阪郊外の豊中でニュータウンスピリットを胸に活動を続けるスリーピースバンド「完全にノンフィクション」のリミックスを含む「dj newtown」による渾身の10曲入りのフルアルバム。
      2005年は僕たちにとって大きな切断面だ。

      いくつかの大切なアニメが放映された。はてなダイアリーとその周辺サービスはまだまだその規模を拡大していくように思えた。テレビの中ではライブドアの社長がなにか巨大なものを動かそうとしていた。ニュー速VIPまとめブログが現れた。2ちゃんねる発と歌われた小説がベストセラーになり、見事にドラマ化され、秋葉原は突如脚光を浴び、休日は観光客であふれた。祭りの終わりが宣告された。本田透はまだ小説家じゃなかった。年の瀬も近づいたころ、youtubeが現れた。僕たちは未だ中学生だった。

      そして2005年、dj newtownは、神戸ニュータウンの14歳だった。

      だからこのレコードは必然的に、2005年から1997年に送られる手紙だ。より正鵠を期していうなら、1997年から届いた電波に応答する、2005年からの返信。1997年から2005年に届いた電波は、無添加無着色のまま荒々しく高速フーリエ変換にかけられ、そのまま10枚の便箋に分かたれた1つの手紙に焼きつけられた。それがこのレコードだ。僕たちは、そして僕たちのニュータウンは、この8年間でいかに変わったのか(あるいは変われなかったのか)という問いに対する最も鮮やかな回答が、このレコードだ。あとは聴いていただくより他ない。すべてがそこに詰まっている。

      1997年の神戸ニュータウンに返答したこの手紙は、そして、2008年の秋葉原に届き、いまの僕たちに届き、2017年や、2027 年の僕たちにも届いていくだろう。このレコードが、(それが適切な形であれ不適切な形であれ)「あなたに」届くことを、僕たちは祈る。


      dj newtownは2005年以降の世界のオブジェクトを巧みにその作品に取り入れているアーティストだが、同時に彼の視線は 1997年の方角にも向けられており、それは様々な形でこの作品にも現れている。『少女革命ウテナ』のセリフをサンプリングした1曲目はもちろんのことだが、たとえば4曲目の『maybe alright』にもその片鱗を窺うことができる。すなわち、彼の「アイドル」に対するまなざしである。

      こんにちにおいてアイドル的なるものは、1997年には辛うじて成立していたような統一的かつ超越的な像を持ちえていない、ということには誰もが首肯する。アイドルの「声」は浜辺の砂粒よりもたくさんの像の中に分散して、僕たちは到底それを一つの視座から見渡すことなどできない。日替わりで目まぐるしくディアステージを出入りする無数のコスプレイヤー、時速30ポストの速度で急がず休まずつぶやき続ける女子高生たち、自分のパジャマ姿を1980円のウェブカメラで垂れ流し続けるすべての女子たちのうちに、アイドルを見つめるまなざしは分光し衰弱している。かような状況のなかでは、ひとりにアイドルに対する執心はもはやごく個人的な信仰にすぎないのであり、そこに立ち現れうるのはいわば「偶像なきアイドル」である。

      にも拘らずdj newtownはこの状況に抗う。無数の光に分散したまなざしをかきあつめ、tumblrという一点に再び集光すること。それはまさに浜の真砂をひとつにかきあつめようとすることに他ならないが、dj newtownは敢えてそれに望むことで前世紀との接続をある一点で保守している。ばらばらに引き裂かれたアイドルの「声」は、彼の手腕の下ふたたび一つに縫合されていく。《》。

      dj newtownのこの徹底した逆説、このあまりに明確なコンセプトは、次作『cutegirl(.jpg)』で頂点を迎え完結することになるが、それはまた別の話だ。彼は1997年と2005年という「裂け目」を見つめており、またアイドルの声の「裂け目」を知っている。二つの亀裂はdj newtownの繊細な指先によって慎重になぞられ、縫い目一つなくつなぎ合わされる。彼のその外科医としての天賦の才が、僕たちを強烈に惹きつけて放さない。

      gottos